
インタビュー
2025.05.09
複数業務を進行する「No Code」米澤文雄さんがこころざす
「料理人という暮らし」
22歳で渡米、NY「ジャン・ジョルジュ」の副料理長を経て、西麻布「No Code」シェフをつとめる米澤さん。現在はレストラン営業のかたわら、JAL国際線での機内食や他店のプロデュース、また障碍者向けの食でのボランティア活動など活動の幅を広げています。このたび、料理人と企業をつなぐウェブプラットフォーム「TasteLink(テイストリンク)」に加わっていただくにあたり、幅広い仕事内容に向き合うようになったきっかけや、現在のそれぞれの仕事に対する思いについて語っていただきました。

これをやらなかったら後悔する、だからやる
戸門:これからサウジアラビアに移住して新しいお店を出されるそうですね。きっかけはどんなことだったんですか?
米澤:友人のレストランにたまたまサウジアラビア人が食事に来て、今後サウジアラビアは非常に発展するから一回現地を見に来ないかという話があって、面白そうだし行こうよという話をしているうちに、サウジアラビアのリヤドという街が非常に可能性があるなと思って、僕としては今後我が子を海外で学ばせたいという事情もあり、自分自身としても日本よりも面白い時間が過ごせるのではと感じて移住を決めました。
戸門:初めて訪れる国で自分の店を新しく作るのって大変ではないですか? 言葉は適切かわかりませんが、いつ戻って来れるかわからない賭けですよね。そこに不安はないですか?
米澤:「できなかったらどうしよう」と考えながら僕は仕事していないので、できることを前提に進めるだけですね。お店をやると決まった今はまだスタートラインにも立っていなくて、これから実際に移り住んで、お店ができて料理を作ってスタッフに教えてお客様をお迎えして、そこが本当のスタートラインです。そしてそこからどれぐらいで駆け抜けられるかは全く未知数です。
戸門:ビジネスでリスクヘッジを考えることはつきものですが、米澤さんは、そのこととチャレンジ精神とはどのようにバランスを取っているんですか?
米澤:最大のリスクは死なないことで、やりたいかどうかを決める一番の要素は、やらなかったら本当に自分が後悔するかどうかですね。「これをやらなかったら後悔する、だからやる」という、そのあたり、僕は非常にシンプルな判断です。

一生懸命やる人を応援したい
戸門:米澤さんはヴィーガンのレシピ本を出されていますね。そういう料理がもともと好きだったんですか?
米澤:かつて「The Burn」というお店を作った際、コンセプトの中に「ヴィーガン料理」というのが一つあって、こういう料理がかっこよくおいしく食べられる店が東京にはないと気づいて、真面目にヴィーガンに取り組んだら面白い料理ができるのではないかと思ったのがきっかけでした。ちょうど世の中でもヴィーガン料理が注目され始めてきた時期で、レシピ本を出版する話になって、書籍(『ヴィーガン・レシピ』柴田書店、2019)も良く売れたので、ヴィーガン系の仕事が増えました。今はJAL国際線のビジネスクラス・ファーストクラスの機内食のヴィーガン料理を担当しています。
戸門:サウジアラビアの話と「No Code」のほかに、いま力を入れているお仕事は何ですか?
米澤:瀬戸内海の豊島(てしま)にある「海のレストラン」の監修です。いま地方はどんどん人が少なくなっているので、ここはシェフを置かないレストランにして、スタッフのみんなだけでもこれぐらいだったら頑張ればできるというメニューを僕が考えて、月に一度、現地に行って教えています。レストランで一番大事なのって技術や知識ではなくて気持ちの部分なんですよ。一生懸命やっている子を応援したくなるというのがレストランの醍醐味なんです。自分の住む地域を盛り上げたいと頑張る若者たちに仕事場を作れば、それに魅力を感じて集まって来る子もいるんじゃないかなって。地方が活性化していくには、そういうサイクルが理想だと思うんです。東京から5時間かかる場所ですが、ああいうところが成功すると非常にいいだろうなと思っています。
戸門:米澤さんは、そういう若者への支援だけでなく、福祉施設へのボランティア支援もなさっていますね。若者やマイノリティの立場に置かれる人たちを「なんとかしたい」という思いはどこから来ているんですか?
米澤:僕の弟がダウン症だというのは大きいと思います。彼の姿を幼いころから身近に見てきたから、そういう人たちの力になってあげたい。僕ができることは限られていますが、今でも定期的に都内のホテルのレストランを貸し切って、ブッフェを楽しむイベントをやっています。何家族かご家族を呼んで、僕の知り合いのメイクさんやネイリストや、マジシャンを呼ぶ。みんなボランティアなんですよ。そういうイベントを行うことで、ふだん外に出られない子たちとか、親御さんだって少し綺麗にしたいとかあると思うので、そこで楽しんでもらえればと思っています。
戸門:そういうイベントに対して、食材などのサポートがあるとよりいいですね。
米澤:そうですね。山形県酒田市の平田牧場さんには、今回もサポートしていただきました。

買って支えないと廃れていく
戸門:興味がある食材や調味料はありますか?
米澤:香川県東かがわ市のかめびし醤油さんには昔からお世話になっています。創業から約280年の歴史があり、「むしろ麹製法」という伝統的な製法を守り続けているメーカーです。「簡単、便利、安い」が重視されがちな現代日本において、こういう伝統文化がなくなる未来がすぐそこにあるんです。昔ながらの作り方をした、日本じゃないとできないものがたくさんあるんですけど、この人たちの頑張りがあるからこそ今「食の都日本」になっているんですけど、これがなくなったらどうなるのかという危機感がすごくありますね。
戸門:お気に入りの道具や調理器具はありますか?
米澤:キッチンの靴は15年ぐらい、変わらずビルケンのロンドンです。もう5回ぐらいソール変えてます。 ロンドン、なんかもはやこれに勝るキッチンの靴は無いぐらい履き心地がいいんです。調理器具でいえば、 小林弘樹という僕と同い年の親しい包丁職人の包丁ですね。切れ味にこだわりがあるので使っています。店舗は東京と大阪にあり、低価格の包丁とハイクオリティの包丁の両方をそろえています。ハイクオリティの方は新規注文をほとんど断るほど人気があって、ちゃんと売り上げが立つような構造になっています。今度若人をまた募集するそうです。
さっき言ったかめびし醤油さんや、ほかにも飯尾醸造さんのお酢とか、味噌だったり伝統工芸含めて繋がっている問題で、結局どんなにいいものでも買われないと廃れていくんですよね。地方の伝統産業は儲かることに対してもう少し執着しないといけないだろうなっていうのと、儲かるイコール価値が高くなる。で価値が高くなるってのは金額も高くなると思うんで、圧倒的に高い価値なのに金額が低い製品やサービスが日本にはとてもたくさんあると思うんですよ。日本人の国民性が邪魔して値上げがなかなかしづらいのがもどかしいなと思うときもあります。

料理人という「暮らし」
戸門:お休みの日はどんなことをされているんですか?
米澤:僕は自分の技術や経験をベースにいろんな仕事を同時進行しているので、完全な休みってないんですよ。仕事がなくても家族の用事がありますしね。でも一方で、仕事中も「仕事している」とそれほど思ってなくて、仕事とプライベートの区別があまりないというか、そういう意味では料理人という「暮らし」というか、料理人という生き方だと思っています。
朝から晩まで厨房で料理を作る昔ながらの職人気質な仕事ぶりは、僕にはどちらかというとあまり向いてないみたいです。日本のレストランは業務が特定の個人に依存する度合いが高く、シェフが自分のお店におらず別の仕事をしている状態は、これまであまり良いこととされてきませんでした。しかし近年はいわゆるダイバーシティや多様性の観点から、またコロナ禍などを経て、現代の不安定な経済状況に対するリスクヘッジみたいな考え方からも、世の中全体がそういう「仕事を分散する」考え方に近づいてきているのではないかと感じています。
Text by 星野うずら

イノベーティブ・No Code
米澤 文雄
Fumio Yonezawa
米澤文雄シェフは1980年東京都生まれ。ニューヨークの三つ星店「Jean-Georges」で日本人初のスーシェフを務め、帰国後は東京店の料理長に。現在は株式会社No Code代表としてレストラン運営や企業案件に携わる。独自の概念「Chef+」を掲げ、料理の枠を超えて地域創生や社会課題にも取り組む。自由で創造的な料理と、人と社会をつなぐ食の力を大切にしている。